チェコっと映画のネタ帖

ファンタスティック・プラネット(1973)

 監督:ルネ・ラルー フランス チェコ・スロヴァキア合作

1973年に日本初公開。日本でも知る人ぞ知る伝説のSFカルトアニメ映画「ファンタスティック・プラネット(邦題)」日本ではフランスのアニメ映画として知られていますが、実は本編のビジュアルはチェコスロヴァキア時代の一流アニメーター達によって作り上げられたということは、残念ながらあまり知られていません。

キャラクター・デザインは「Svatební košile (婚礼のシャツ)」 でも知られるヨゼフ・カーブルトが担当し、背景デザインはヨゼフ・ヴァーニャが担当しました。当初本作の脚本、キャラクターをはじめとする本作のイメージ監修を担当したローラン・トポールの直接の関与は撮影以前までで、本作がクランク・インするとカーブルト達にその全てが託されました。アニメーションの撮影自体もプラハのイジー・トゥルンカスタジオで行われ、チェコスロヴァキアの撮影スタジオに立ち入ることを許されたのは、監督のルネ・ラルーのみでした。本作の切り絵アニメーションというスタイルはチェコアニメの伝統的な手法の一つであり、本作にその独自の手法を取り入れさせたのもチェコ側でした。

このように本作は共産主義下のチェコスロヴァキア国内で撮影されたのですが、その契約は1967年に結ばれました。当時の政治面から見たらそれは特例といえることでした。1968年8月には旧ソ連軍が率いるワルシャワ条約機構軍の戦車がチェコスロヴァキアに潜入するなど、撮影は問題に晒されることもありました。本来のシュール極まりない内容に当局は常に監視の目を光らせており、共産主義政治を皮肉ったものとしてパラノイアをおこし、常に疑惑の目を向けていました。しかし同時にこの映画製作はチェコスロヴァキアにとって莫大な外貨をもたらすものでもあったので、製作を禁止するまでには至りませんでした。本作は完成するまで実に4年の歳月を要したのでした。

Svatební košile 原作: Karel Jaromír Erben 作画/脚本: Josef Kábrt

チェコスロヴァキアを代表する詩人、カレル・ヤロミール・エルベンの Svatební košile をヨゼフ・カーブルトが脚本におこし、作画した短編アニメです。カーブルトの作風が存分にお楽しみいただけます。


Oldřich Lipský オルドジフ・リプスキー

1924年7月4日生-1986年10月19日没

チェコスロヴァキア映画の巨匠

現チェコ共和国南東ペルフジモフ市出身の映画監督であり、生涯を通して風刺と笑いを交えた作品を作り続けた コメディ映画の巨匠です。

リプスキー監督の作品の中で最も有名な映画は、西部劇パロディーである『レモネード・ジョー 或いは、ホー ス・オペラ』(チェコ語題:Limonádový Joe aneb Koňská opera, 1964年)だと思われます。
『アインシュタイン暗殺指令』(チェコ語題:Zabil jsem Einsteina, pánové …, 1969年)はSF映画で、アインシュタインを暗殺しようと未来からタイムトラベルで刺客が送り込まれるという奇抜な設定。
『アデラ/ニック・カーター、プラハの対決』(チェコ語題:Adéla ještě nevečeřela、直訳「アデラは夕食前」、1977年)の主人公は、アメリカのパルプ・マガジンが生み出した探偵ニック・カーター(Nick Carter)で、プラハの街で食人植物と対決します。『カルパテ城の謎』(チェコ語題:Tajemství hradu v Karpatech, 1981年)は、ジュール・ヴェルヌの原作で、スチームパンクの魅力はそのままだが、内容は抱腹絶倒なコメディに変わっています。日本で見ることができるリプスキーの映画はどれも奇想天外で、おもちゃ箱をひっくり返したような楽しい映画ばかりです。

ちなみに、同じくチェコ出身であるヤン・シュヴァンクマイエルとその妻エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァーが『アデラ/ニック・カーター、プラハの対決』、『カルパテ城の謎』に特殊撮影と美術で参加しています。
これはシュヴァンクマイエル夫妻が活動休止に追いやられていた時期のことでもあります。

リプスキーはチェコにて20作以上の作品を制作したが、現在、日本で満足に鑑賞できる作品は上記に挙げた『レモネード・ジョー 或いは、ホース・オペラ』『アデラ/ニック・カーター、プラハの対決』『カルパテ城の謎』の3作のみである(これらは株式会社エプコットよりDVDが発売されている)。『アインシュタイン暗殺指令』はかつてVHSが発売されていたが、現在は生産中止となっています。


Jan Nemec (ヤン・ニェメツ) 

1936年7月12日 – 2016年3月18日

チェコスロヴァキア映画の巨匠

チェコ・ヌーヴェルヴァーグの異端児と称されるヤン・ニェメツ監督は
1936年7月12日、チェコスロヴァキア(現チェコ共和国)の首都プラハに生まれ、1954年、プラハ芸術アカデミー映画学部(FAMU)監督科に入学。在学中の助監督経験を経て、1960年の卒業制作として、アルノシュト・ルスティク(Arnošt Lustig)が作者自身のホロコースト体験をもとにした短篇『2回戦 (Druhé kolo)』を翻案し、短編映画『一口分の食料 (Sousto)』で、同年のアムステルダム学生映画祭でオランダ映画連盟銀薔薇賞、翌1961年、オーバーハウゼン短編映画祭で大賞、メルボルン国際映画祭では特別賞をそれぞれ受賞、24歳にして国際的な名声を得る。

プラハのバランドフ撮影所に入り、1964年、長篇映画『夜のダイヤモンド(Démanty noci)』(アルノシュト・ルスティク原作)で長篇監督としてデビュー、同年のマンハイム国際映画祭で大賞、翌1965年にはペサロ映画祭で長編映画国際批評家賞を獲得しました。同作は日本でも1968年9月にATGの配給で公開されています(アート・シアター61号)。翌1965年、イジー・メンツル、エヴァルト・ショルム、ヴィエラ・ヒチロヴァー、ヤロミル・イレシュというチェコの若手監督によるオムニバス映画『海底の真珠 (Perličky na dně)』(ボフミル・フラバル原作)に参加。1966年に、傑作『祭りと招待客(O slavnosti a hostech)』や人気歌手マルタ・クビショヴァーを配役した『愛の殉教者たち(Mučedníci lásky)』を撮影しました。


1968年8月21日にチェコスロヴァキアはソ連の戦車に侵攻された際、彼が撮影した材料を国外に持ち出し、長編映画はドキュメンタリー『プラハのためのオラトリオ (Oratorio for Prague)』(製作クロード・ベリ、ジャン=ピエール・ラッサム)を作りました。同作は「プラハの春」に終焉をもたらせた1968年のソ連のプラハへの軍事介入を描き、発禁処分を受けましたが、ニェメツのフッテージは、結果、侵略映像のストックとして無数の国際報道機関に使われました。のちにニェメツは、フィリップ・カウフマンの『存在の耐えられない軽さ』(1988年)の原作(ミラン・クンデラ)翻案のアドヴァイザーでもあり、同作では、集められた侵略についてのニェメツのオリジナルな映画作品が使われました。

1974年、西ドイツに政治亡命し、フランス、スウェーデン、イギリスのテレビ界で活躍したのちに渡米。

1989年12月チェコに帰国。1993年、映画製作配給会社「ヤン・ニェメツ・フィルム」を設立。
ヤン・ニェメツの妻にマルタ・クビショヴァー、エステル・クルンバホヴァーがいました。



Karel Ješátko カレル・イェシャートコ


(1923年5月16日〜2013年8月18日)

チェコスロヴァキア映画スチールフォトグラファー

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©Karel Ješátko


1950年以来、プラハ バランドフ映画撮影所のスチールフォトグラファーとして活躍。
チェコを代表する数々の名作の撮影現場を写真に収めた。
ユライ・ヘルツ監督作品のほとんどのスチール写真は彼が担当しており、チェコヌーヴェルヴァーグ映画時代のほとんどの作品を記録している名スチールカメラマンとして知られていました。

恵比寿のギャラリーGalerie LIBRAIRIE6/シス書店
にて
ユライ・ヘルツ監督映画「火葬人」+カレル・イェシャートコ写真展を2015年8月12日(水)~8月29日(土)まで開催致しました。

2013年2月 プラハにて。写真提供のお礼に伺った時の一コマ。


彼が携わった代表的な作品として
「Měsíc nad řekou (川の上の月)」 

「Vlčí jáma (オオカミの穴)」 
「Až přijde kocour (猫に裁かれた人たち)」
「Starcí na chmelu (ホップ奉仕)」 

「Limonádvý Joe (レモネード・ジョー)」
「Spalovač mrtvol (火葬人)」 

「Petrolejové lampy (灯油ランプ)」 

「Morgiana (モルギアナ)」等多数が挙げられる。



Ester Krumbachová

(エステル・クルンバホヴァー)

衣装デザイナー・舞台美術家・脚本家

(1923年11月12日〜1996年1月13日)

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エステル・クンバホヴァー(Ester Krumbachová)はチェコのヌーヴェル・ヴァーグ作品の立役者とも言える美術家、衣装デザイナー、脚本家、演出家、舞台美術家です。ヴィエラ・ヒチロヴァー、カレル・カヒニャ、オルドジヒ・リプスキー、ヤロミル・イレシュ、ヴィェラ・ヒチロヴァーなどの巨匠たちの代表的な作品に名を連ね、チェコ・ヌーヴェルヴァーグ映画制作に大いに貢献し、その時代の作品を語るに欠かせない重要なアイコンの一人です。オルドジヒ・リプスキー監督の「第1世紀の男」、ヴィェラ・ヒチロヴァー監督の「ひなぎく」、ヤン・ニェメツ監督の「夜のダイヤモンド」、「祝宴と客」や「愛の殉教者」、カレル・カヒニャ監督の「耳」、ヤロミル・イレシュ監督の「ヴァレリエの驚異なる一週間」、自作映画「チェルト技師の殺人事件」などのチェコヌーヴェルヴァーグの名作は彼女をなくしては産ぶ声すらあげることがありませんでした。チェコの映画史においてかけがえのない存在でした。なかでも美術・脚本(監督と共同)・衣装デザインを担当した日本で根強い人気を誇る「ひなぎく」や「ヴェレリエの不思議な一週間」などは、クルンバホヴァーの芸術への観念そのものを表しています。



Sedmikrásky ひなぎく トークショウ全文

『ひなぎく』上映後のペトル・ホリー(チェコ蔵主宰)によるトークショウの全文です。

『ひなぎく』の撮影の舞台裏・当時の時代背景など詳しく解説しています。

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聞き手:くまがいマキ(チェスキー・ケー代表)

ー今日は『ひなぎく』がつくられた当時のチェコ(チェコスロヴァキア)の様子や、撮影の舞台裏の話をお聞きしたいと思いますこの作品は2人の主人公が非常に魅力的ですが、2人ともオーディションで選ばれたそうで、それまで演技の経験の全くなかった2人がどのように選ばれたかをまず教えていただけますか?

『ひなぎく』の前に、『水底の真珠』(1965年)というオムニバス映画にヒティロヴァー監督も参加して非常に注目を浴びました。その頃に既に『ひなぎく』の脚本をエステル・クルンバホヴァーと共に書き上げていましたが、主人公をどうするかというのは最後の最後まで決まらなく色々と悩んだらしいです。オーディションも色々やっていたけれど、そこでは見つからず困っていたところ、まず、マリエ1をシネマクラブで見つけたそうです。どこからか、女性の声が聞こえてきて、ピーチクパーチクと面白くて、顔を見る前にその声がいいなと思い、マリエ1にようやく出会えた。

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ーマリエ1役のイトカ・ツェルホヴァーさんは帽子屋の店員さんだったとか?

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シアターイメージフォーラム渋谷
『シュバンクマイエル映画祭2015』初日、「アリス」上映後のトークショウ全文

2015.2.21(土)

出演:ペトル・ホリー(チェコ蔵代表) = P ヴィヴィアン佐藤 = V

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V:私はいちファンとしてヤン様、ヨン様じゃなくてヤン様のファンなんですけれども(笑)、ホリーさんは監督が来日する時にはいつもアテンドして色々なところに連れて行かれたり通訳されているのですが。今回、映画祭やトークショーの情報を例えばFacebookなどにアップすると「学生の時に観ました」とか「懐かしいです」というような返事が返ってきます。
P:意外な方が観て下さっているみたいですね。

V:日本の、特に女性にとって、ヤン・シュヴァンクマイエルというのがチェコの日本とは違った国の作家というより「ソウル作家」というか、自分達の心の作家みたいな感じがあるように思えます。
P:本人に言うと、びっくりすると思います。

V:チェコとは捉えられ方が違うような気がします。
P:(チェコでは)色々いる監督の1人ですから。好きな人は好きですけれど。

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