Hrad Houska ホウスカ城の地獄の門

かつて悪魔が行き来した地獄へ続く門 Brána do pekla があると言い伝えられているホウスカ城。人里離れた山奥にも関わらず、がっつりと四方を城壁に囲まれて森の木々の中にひっそりと佇むその姿はおどろおどろしい言い伝えと相まって不気味さを醸し出しています。実際、数々の超常現象が起こると言われている謎の古城。チェコのオカルトマニアの聖地でもあります。

主要道路沿いの駐車場に車を停め、細い森の小道を歩いていきます。すると・・・

現れました。悪魔の棲む城・・・しかし入り口にはキオスクがあり絵葉書など売られたりして、そんな世俗的な商売っ気にちょっとホッとします。ここで地獄の門番(お城の管理人)のガイドによる城内見学を申し込みました。5名から遂行(チェコ語のみ)されるそうでこの日は平日にも関わらず20名くらいの参加者がいました。封印されている悪魔の怒りに触れないよう、密やかに巡ります。

城の中にはでっかいホウスカが燦然と飾られています!(石製)あ、ホウスカってやっぱりそういうことですね。

ちなみにこちらの城内が一般公開されたのはなんと1990年代以降だそうです。

領主の部屋は現在トロフィールームになっています。ちょっとエグいくらい大量のムフロンの頭部の剥製がトロフィーとして壁中に飾ってありました。こちらのかつての領主は相当の狩猟の腕前だったようです。

ここが問題のチャペル。こちらの古城は13世紀に建てられたものだそうですがこの部屋がチャペルだと判明したのはつい最近、20世紀に入ってからだそう。この床の下に「地獄の門」が封じ込められてるとのことで緊張します。

チャペルの中に入ると地獄の番人(管理人)の顔も次第にこわばってきました。さかのぼること13世紀、ある日この地で突然大きな岩が裂けそこから邪悪な地獄の使者のような獣人が現れ、人々を恐怖の淵におとしいれていた。

チャペルの壁面にはケンタウロスのような左利きの尻尾のある生き物が弓を放っている様子が描かれたり。諸説ありますがこれは異端の象徴とも。

Pan kastelán 現在のホウスカ城の管理人

伝説によると、30年戦争でここに流れ着いたスウェーデン軍の部隊長オロントは黒い雌鶏を用いて不老不死の黒魔術をここで執り行なった。するとそんな彼を問題視した地元の狩人らは聖水で清められた弾丸で彼を撃ち殺してしまう。それ以来、彼は幽霊となって城を彷徨い続けているという。そんな言い伝えもあり、現在でも数々の不思議な現象が起こるとのことなので霊感や感受性の強い人や繊細な方はお気をつけください。

こちらはもう一つのチャペル。天井の美しいフレスコ画は16世紀のもので、城下の人々の牧歌的で平和な暮らしが描かれています。

 共産主義化のチェコスロヴァキア時代に生まれた伝説的なアヴァンギャルドロックグループ The Plastic People Of The Universe が 1976年ホウスカ城で録音した曲が『Egon Bondy’s Happy Hearts Club Banned』というアルバムに収録されています。これは共産党から粛清を受け、ここホウスカ城に島流しされた反体制派の牧師、スヴァーチャ・カラーセクの導きによるものでした。

Sváťa Karásek(1942 – 2020)

1968年プラハのコメニウス神学部卒業。フヴォズドニツェのチェコ兄弟教団にて大人気の牧師として活躍するも、共産党政権に目をつけられ1973年に牧師免許を剥奪される。秘密警察に「危険人物」と記録され、その後1976年までホウスカ城のkastelán (管理人)を務めるも1976年に政治犯として地下バンド The Plastic People Of The Universe とDG 307らと政治裁判で吊るし上げられ八ヶ月の求刑を受けた。

(写真はホウスカ城に住んでいた当時のカラーセク夫妻)

城内の上の階からホウスカ城から約10キロほど離れたところにある北チェコ地方では最も有名なベズジェス城が見えました。また別の機会に是非行ってみたいと思います。

プラハから車で約1時間半、北へ約50キロくらいに位置するホウスカ城。チェコに数多く現存する古城の一つですが、こちらはチェコ国内でもかなり歴史は古く、多くの謎に包まれた伝説に政治事情までが絡み、そして知る人ぞ知るパワースポットでもあります。

チェコロマン文学第一人者の詩人カレル・ヒネク・マーイはこの地で人類の未来の様子をその目で見たといい、その記録は現在も語り継がれています。

13世紀、このような人里離れた辺鄙な山奥になぜこれほどの城が建てられたのか。その多くの謎はいまだに解明されていません。