Svatá Hora 聖なる山

       

ホリーの実家、ドブジーシュからバスで20分くらいのところにプシーブラムというやや大きな鉱山の街があります。

プラハからドブジーシュまでバスで40分位なのでプシーブラムまでだとちょうど1時間くらいでいける距離です。

そのほぼ中心地にはヨーロッパでも名だたるキリスト教の巡礼地、スヴァター・ホラ(聖なる山)の「聖母の被昇天教会」があり各地から巡礼の人たちが訪れています。

訪れたのはクリスマス後、年末でした。日本でその年の無病息災のお礼に神社にお参りするように、私たちは地元のこの教会の「聖なる山のマドンナ」に会いに行くことにしました。

ここに来ると昔ヴラスタおばあちゃんによく連れてきてもらったことを思い出します。プシーブラムから結構な距離を歩いて、あの頃小さかった僕はそれが嫌で嫌で・・・(苦笑)今になってはとても懐かしいおばあちゃんとの思い出の一つです。

スヴァター・ホラの教会の起源についてはいくつもの伝説があり、いつ建てられたのかは不明です。13世紀ごろからここプシーブラムの鉱山に巡礼のための石積みがあり、のちにその石造りの土台を教会の中央に配し、このバロック建築様式の「聖母の被昇天教会」が建てられました。

 敬虔な巡礼者の目的は聖母マリア像を具現化したものを巡礼地で拝むことでしたがここにはそれがありませんでした。しかし1348年、カレル4世の条令により、プシーブラム市がプラハ大司教をつとめたパルドゥビツェのアルノシュト(1297〜1344)の領となると、ゴシック様式で彫られた聖母の像で知られるようになります。高さ50センチ、洋梨の木でできています。聖母の像の法衣のひとつに、マリア・テレジア女帝の自らの結婚衣装で作られたものもあると伝えられ、季節ごとに衣装替えが行われています。

こちらが「スヴァター・ホラのマドンナ」とも称される聖母の像です。

この「聖なる山のマドンナ」はこれまで実に4000を超える「奇跡」を起こしていると言われており、非常に霊験あらたかな像なのです!

三十年戦争(1618〜1648)の際、プシーブラム市とその周辺は戦災に見舞われ、聖母の像は市民によってかくまわれました。1620年にイエズス会がプシーブラム市に到来し、イエズス会は「聖山」(スヴァター・ホラ)の頂に寮を築き、巡礼地を管理するようになりました。

これらのいわゆる「奇跡の100選」つまり、洪水、落雷、落馬、建物からの落下、戦災やペストなど病災や災難に見舞われ、聖母の像の奇跡によって助けられた人達のモティーフが渡り廊下の天井に描かれています。

スヴァター・ホラの教会は1648年頃からイタリア出身の建築家カルロ・ルラーゴの指導の元、増築され、1732年には祭典や聖母の像の戴冠式が盛大に執り行われました。

ここでスヴァター・ホラのマドンナによる?小さな奇跡が!

売店で偶然かつての母校ドブジーシュ高校(現・カレル・チャペック高等学校)時代の校長先生に遭遇!もう80歳を過ぎたとのことでしたがお元気で、私のこともよく覚えていてくださいました。昔話に花が咲きとても懐かしく嬉しかったです。

校長先生はもうご隠居されているとのことですが、いつまでもどうかお元気で!また地元でお会いできるのを楽しみにしています。